寛永寺 護國院 大江戸編

江戸の朝、ちーこと蒼井07 大江戸街歩き物語
江戸の朝、ちーこと蒼井

江戸の初春と、大黒天に託した庶民の笑顔

時は江戸時代後期――お正月の初春を迎えた江戸の町は、どこもかしこも華やかな活気と新しい年への期待に満ち溢れていた。 その中でも、日本橋や浅草と並んで多くの人々で賑わいを見せていたのが、寛永寺の子院であり「谷中七福神」の一つである大黒天を祀る「護國院」の境内だった。

「わあ、すごい人ね! お正月のお参りに、みんな最高の笑顔を浮かべているわ」 町娘の装いを整えたちーこが、次々と参拝に訪れる江戸の庶民たちの楽しげな様子を見回しながら、パッと華やかな笑みを浮かべた。

その隣で、少し着崩した羽織姿で涼しげな顔をした蒼井は、境内を包む温かな熱気を感じながら静かにうなずいた。 「ああ。天海大僧正が寛永年間にこの地を整えて以来、護國院は為政者の祈りの場であると同時に、こうして江戸の庶民たちが日々の暮らしの安寧や商売繁盛、そして福徳を願う大切な拠り所であり続けてきたからな」

お堂の前からは、大きな袋を担いだ大黒天様に手を合わせ、「今年も家族が健康で、商売が繁盛しますように!」と元気よく祈る人々の声が響いてきている。 厳しい身分制度や様々な苦難があった江戸の世であっても、この初春の七福神巡りだけは、人々が明日への希望と笑顔を取り戻すための最高のお祭りだった。

「お殿様や武士の人たちだけじゃなく、こうして町の職人さんや商人の人たちが、みんな心から『福』を求めて集まってくる……この下町の温かいエネルギーって、いつの時代も本当に素敵ね」 ちーこが目を輝かせながらそう呟くと、蒼井はふっと柔らかく目を細めた。

「そうだな。華やかな東照宮や重厚な根本中堂が持つ歴史の重みとはまた違って、この護國院には人々の生活に一番近いところで生きる『希望の灯火』がある。……お前が写真を通していっつも追い求めている『人の笑顔の本質』も、まさにこういう場所にあるのかもな」

「あら、チーフにしては珍しくいいことをおっしゃるじゃないですか!」 ちーこが嬉しそうにクスッと笑うと、蒼井は少し照れくさそうに視線をそらし、懐から小さな温かい甘酒の入った湯飲みを取り出して差し出した。

「ほら、冷えてきただろ。これを飲んで温まれ」 「わあ、ありがとうございます! ……ふふ、なんだか今年の初春は、いつもよりずっと温かくて幸せな一年になりそうですね」

黄金色の夕陽が谷中の杜と護國院の屋根を優しく包み込み、江戸の街に新しい年の穏やかな夜が訪れようとしていた。 時代がどれほど移り変わろうとも、人々の幸せを願う祈りと笑顔の系譜は、こうしてしっかりと未来へと手渡されていくのだった。

初春の縁日、福を招く職人の手仕事と小さなサプライズ

江戸の初春――「谷中七福神」の参詣客でごった返す護國院の境内は、お正月ならではの活気と、人々の楽しげな話し声でまるでお祭りのような賑わいを見せていた。

大黒天堂の脇に設けられた授与所の前では、福徳開運や商売繁盛を願う縁起物を求める人々の列が途切れることがない。その一角で、腕利きの職人が一つひとつ丁寧に木彫りの小さな大黒天の置物や縁起熊手を並べ、威勢の良い掛け声を響かせていた。

「さあさあ、新年最初の福を呼び込む大黒様だよ! 福徳円満、商売繁盛! お家に笑顔と豊かさを届ける縁起物だよ!」

町娘の装いをしたちーこが、その職人の見事な手際と、授与品を手にした参拝客たちの満面の笑みを興味津々で見つめていた。 「ねえ、蒼井さま。あの職人さん、すごい集中力ね。ただの置物じゃなくて、手にした人たちが本当に笑顔になれるような、温かい魂を一つひとつの木肌に吹き込んでいるみたい」

少し離れた場所で腕を組んでいた蒼井は、職人の手元と、それを見つめるちーこの輝くような横顔を交互に見ながら静かに関心した。 「ああ。江戸の庶民にとって、正月のお参りやこうした縁起物は、単なるゲン担ぎじゃない。厳しい一年を乗り越えて、また家族みんなで笑って暮らすための大切な誓いなんだよ。……だからこそ、作り手も買い手も、みんな本気で心を通わせている」

「さすが、歴史を見つめてきたプロの視点ですね。……あ、ちょっと待ってて、蒼井さま!」 ちーこが突然、軽やかな足取りでその授与所のほうへと小走りで向かった。

「おい、また勝手にどこへ……って、おい、ちーこ!」 制止する間もなく、ちーこは職人の前にちょこんと立ち、いくつかの小さな縁起物を見比べながら何やら楽しそうに話し込み始めた。しばらくすると、職人がガハハと豪快に笑い、ちーこに一つの小さな木彫りの大黒天の鈴を手渡した。

満足そうな笑みを浮かべて戻ってきたちーこは、隠し事をする子供のように両手を後ろで組み、蒼井の目の前にぴたっと立ち止まった。

「な、なんだよ急に」 「はい、これ! 護國院の大黒天様の福徳をぎゅっと詰め込んだ、初春の特別なおすそわけです!」

ちーこが差し出した手のひらの上には、コロンと可愛らしい小さな木彫りの大黒天の鈴が乗っていた。振ると、カランコロンと何とも心地よく、おめでたい音が境内の喧騒のなかに響く。

「……俺に?」 「当たり前じゃないですか。こうして一緒に江戸の初春を巡って、たくさんの人の笑顔を見て……一番福を分けてあげたいのは、隣にいるあなたですもの」

まっすぐに向けられた透き通るような瞳と、照れくさそうにはにかむ笑顔に、蒼井は胸を突かれたような衝撃を受けた。言葉を失いながらも、彼はゆっくりとその鈴を受け取り、自分のポケットへと大切にしまった。

「……まったく、お前はいつだって俺の想像の斜め上を行くサプライズをしてくれるな」 「ふふっ、喜んでもらえて何よりです!」

ちーこが満足げにふわりと笑うと、夕暮れに染まり始めた護國院の屋根の向こうから、新年の穏やかな風がふたりの間を優しく通り抜けていった。 江戸の昔から変わらない人々の温かな祈りと、自分たちだけの確かな絆を胸に刻みながら、ふたりは並んで境内をあとにするのであった。