そのとき、階段の下から一人の少年が上がってきた。
中学生くらい。
スポーツバッグを肩に掛けている。
日に焼けた顔。
しかし表情は暗かった。
少年は参拝をすると、授与所の前に立った。
サッカー御守をしばらく見ている。
買うのかと思ったが、少年はバッグから小さな青い御守を取り出した。
同じサッカー御守だった。
かなり使い込まれている。
少年はそれを握ったまま、動かなくなった。
チーコは気になった。
だが声はかけない。
蒼井が横を見る。
「成長したな」
「何が?」
「すぐ話しかけない」
「私だって場の空気くらい読むわよ」
少年は結局、御守を持ったまま石段を下りていった。
ところが途中で、スポーツバッグの口から一枚の紙が落ちた。
チーコが拾う。
サッカー部のメンバー表だった。
少年の名前らしいところに、赤い線が引かれている。
「落とした!」
チーコが声をかけた。
少年が振り返った。
「あ……ありがとうございます」
紙を受け取る。
その瞬間、チーコは何となく聞いてしまった。
「試合?」
少年は一瞬黙った。
「いえ」
「ごめん。余計なこと聞いた」
「大丈夫です」
少年は少し考えてから言った。
「試合には、出ないんです」
名前は朝倉陸。
中学三年生。
サッカー部のゴールキーパーだった。
二年生の秋に膝を怪我した。
手術とリハビリを続けたが、最後の大会までに完全復帰することはできなかった。
「そのお守り、怪我をする前から?」
チーコが尋ねる。
「はい。父がくれました」
「お父さんもサッカーを?」
「昔やってたみたいです」
父親は陸へ、
「八咫烏がゴールまで導いてくれる」
と言って御守を渡した。
最初は信じていなかった。
だが試合前には必ずバッグへ入れるようになった。
「でも、もう必要ないかなって」
陸が言った。
「どうして」
「試合に出られないから」
チーコは答えられなかった。
蒼井が口を開く。
「返しに来たのか」
「はい。でも、返そうとすると……なんか」
陸は御守を見る。
「父に負けたって言うみたいで」
「怪我をしたことが?」
「最後の大会に出られないことが」
蒼井は少し黙った。
「チームには行っているのか」
「一応」
「一応?」
「ベンチには入れません。でも練習は手伝ってます」
「キーパーの後輩は?」
陸の表情が変わった。
「二年のやつが出ます」
「上手い?」
「まあ……」
「教えてる?」
「時々」
蒼井がうなずいた。
「なら、まだサッカーをやっている」
陸が怪訝そうな顔をする。
「でも試合には」
「出ることだけがサッカーなら、監督もコーチもトレーナーもサッカーをやっていないことになる」
「それは……」
「それに、ゴールキーパーは後ろから全部見えるだろう」
「はい」
「見えている人が、誰かに道を教えることもできる」
チーコが八咫烏を見上げた。
「導く人?」
蒼井が彼女を見る。
「そういうことだ」
チーコは陸へ向き直った。
「八咫烏みたい」
「僕が?」
「三本足じゃないけど」
「そこじゃないだろう」
蒼井が突っ込む。
陸が初めて笑った。
話を聞くと、翌日が大会初戦だった。
陸は応援へ行くか迷っていた。
後輩が自分のポジションで試合に出る。
それを見るのが辛かった。
「嫌なら、無理に行かなくてもいいと思う」
チーコは言った。
陸が驚いた顔をする。
「行けって言われると思いました」
「だって辛いんでしょ」
「はい」
「だったら辛いって思っていいじゃない」
蒼井は黙って聞いていた。
「でも」
チーコは続ける。
「明日の朝になって、それでも見たいと思ったら行けばいい。何を選んでも、怪我をしたことが負けたことにはならないと思う」
陸はしばらく御守を見ていた。
「この御守、どうしたらいいと思います?」
「それは自分で決めることだ」
蒼井が答えた。
「八咫烏は道を示しても、歩くのは本人だからな」
「蒼井、今日はちょっと格好いいね」
「今日は、は余計だ」
陸がまた笑った。
結局、御守は返納しなかった。
「もう少し持ってます」
そう言って少年は帰っていった。

